引用 中日スポーツ
京セラドーム大阪で行われた優勝戦。阪神タイガースは日本シリーズで38年ぶり、二度目の日本一となり、場内外で歓喜が沸きました。阪神の岡田監督は「選手としても監督としても日本一を達成できて本当に幸せですね」と率直にコメント。喜びを嚙みしめていました。阪神タイガースが掲げているスローガン「ARE」(アレ)。「アレ」とは優勝を指す言葉ですが、岡田監督は「『アレのアレ』をなんとか達成できた」と茶目っ気たっぷりにコメント。ファンを笑わせていましたね。
そんな岡田監督とはどのような人物なのでしょうか。まずはプロフィールから。
岡田監督のプロフィール
岡田 彰布(オリックス・ブルーウェーブ) | 個人年度別成績 | NPB.jp 日本野球機構
岡田 彰布(おかだ あきのぶ)
投打 右投右打
身長体重 175㎝/77㎏
生年月日 1957年11月25日
経歴 北陽高-早稲田大
ドラフト 1979年ドラフト一位
日本野球機構
岡田監督は北陽高校在籍時、一年からレギュラー入り、二年生の秋には三冠王を達成してリーグ優勝を果たしています。1979年のプロ野球ドラフト会議で当時は史上最多となる6球団から指名を受け、阪神タイガースが指名権を得て入団されました。その後の活躍も華々しく、一年目からレギュラーとして新人王を獲得。阪神が日本一を達成した1985年。この年にはベストナイン・ゴールデンクラブ賞を受賞されています。その後、94年にオリックスに移籍し、翌年の95年で現役引退されています。
そして若かりし頃の岡田監督がこちら。
引用 週刊女性プライム
う~ん。目元が優し気な好青年です。
現在のお姿も変わらず、優しげな目元をされていますよね。
監督としては、95年に引退された後は、オリックスで打撃コーチや二軍監督、阪神二軍監督を経て、2004年には阪神監督に就任。翌年の05年にリーグ制覇を飾りました。そして2023年の現在、阪神を優勝に導いたのです。
岡田監督のご家族
岡田監督のご家族は奥様と息子さんの三人家族です。
奥様のお名前が陽子さん。息子さんが陽集(ようしゅう)さんです。
奥様とは1982年3月1日に結婚を発表。お二人の出会いは後援会による新年会だそうですね。
新年会では初対面だったそうですが、お二人はすぐに意気投合。
驚くべきところが出会って一か月で婚約の運びになったところです。
運命的な出会いとはこのこと。ロマンティックで素敵ですよね。
奥様の陽子さんはクワドリンガル(日本、英語、スペイン語、フランスか語)で才女とのこと。
その知識を生かして外国文献の翻訳のお仕事をされていたとか。
結婚後は退職し、岡田監督を支えていらっしゃいます。正しく縁の下の力持ちですね。
息子の陽集さんは大阪大学基礎工学部に進学したのち総合商社に入社、現在はインドネシアのジャカルタに単身赴任しているそうです。
野球の道には進まなかったようですが、自分の道をしっかりと歩んでいる姿はお父様の岡田監督、奥様の陽子さんの精神を受け継いでいますよね。
お孫さんがお二人いるそうなので、お祖父さまの活躍を喜んでいることでしょう。
話は変わりますが、野球の競技人口が減少の傾向にあるそうですね。
プロを目指す割合はそこまで減っていないようですが、ライトな層、ファンの減少が心配されているそうです。ファンが減れば球団経営が悪化し、高額な年俸も不可能になります。
数十年前、子どもがなりたい職業ランキングでは上位を独占していた野球選手。
野球選手は子どもたちにとって夢のある職業だったのです。
今は競技人口が減り続けていますが、この阪神優勝を機に子どもたちが野球に関心に持ち、いつか子どもがなりたい職業ランキングの一位に返り咲くことを願っています。
話は逸れましたが、
引用 スポニチ
優勝後のビールかけ!こちらの気分も上がりますね~
優勝おめでとうございます!!!!!
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